芋と秋風と

お休み。久しぶりの天気で、秋の匂いがする。風が変わった。台所に放置していたサツマイモから芽が出て、育てようと外に出したものの全然伸びず、かといって枯れもしないのでそのままにしていたら今日ホーローバケツの中に落っこちたまますくすく育っているのに気づいた。
先日の大雨の時に運良くバケツに転がったんだろう。気力もなくベランダにも出ていなかったのがもう何日続いたのかわからないけど、驚愕のいもの潜在能力。命蓄え能力。
すごいねぇ。
そうだよね、食べられているけど、いっこいっこ、命のかたまりなんだった。
葉っぱが少し枯れかけていたので慌てて水を入れたけど、もしかしたら放置したままでもよかったのかも。いや。水は必要だろうな。

眠れない夏が続いて気力体力ともに修行僧かよというほど削ぎ落としてしまい(体重は変わらない)
ぼんやりともうこの体も手放したいと思うこともあり。でも坂口恭平さんも言っていたが、死にたいは生きたいなので、これは脳の誤作動として、自分の考えを反転させるように、とりあえず自分の命優先で生きのびることを心がけている。

こういう話は暗いとか重いになっちゃうし、もっと苦しんでいる人がいるとかマウントとる人もくるし、弱い苦しいですねわかります一緒に闇に落ちましょうって人も来ちゃうから、なかなか言葉を選ぶ。でもわたし自身は話したい。ただ、私のこととして整理するためにも外に出したい。


人は自分以外誰も助けられないという考えがベースにある。助けることはできないけど、それぞれが向き合ってることが何かしらのヒントや助けになる、という可能性は信じている。だから各々が自分を精一杯考え感じて生きる。自分を生きようとしている人を応援する。そしてわたしもそういう自分をまっとうしようとしている優しいひとたちに救われている。

だから、鬱や障害への偏見もどうやったらなくなるかなぁと考えているが、自分がぶっ倒れた鬱期を経て今生きていることは隠すほうがしんどいんだなとおもって、これからは素直に書こうとおもう。

ちなみに、鬱っぽいとか発達障害ぽいんだよねーというひとは、きっと周りに向き合っている人や悩んでいる当事者がいないのだろうなと思っているけど、ひとまず真面目に受け止めるし、言ってるだけなら真面目に病院もすすめている。
病人や薬漬けにしたいわけではなく、そうやってなんとなくぽさだけを乱用されると、理解が遠のくし失礼だから。落ち込んでる時に、鬱は甘えやそんな時期誰にでもあるという言葉のサンドバッグを受けるのは日常茶飯事だけど、無理解を笑えるほどの余裕はないので、身近なところからの防衛と啓蒙は必要だとおもっている。
頭痛が消えたので、朝から洗濯をして
洗濯槽クリーナーを入れて汚れが剥がれるのを待っている。猫をおなかのうえにのっけて。すぐ降りると思うけどさ。暑さに敏感なひと。
洗濯槽の中にわかめみたいな、黒いベロベロしたやつがたくさん出てきていて、自分のズボラをまざまざ見せつけられてぞっとするけど快感。ためこみすぎだ。
夏の汚れすっきり、初秋、満月の日。
リスタートの気持ち。

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